ネガティブの沼に飽きて這い出る人たちと
変えられるものは何か
「ネガティブな言葉を聞きたくない」
そんな人は、多いのではないでしょうか
どんなに回避しても、耳から入ってくる不適切な言葉は、それを言われている人だけでなく、
側で聞いている、聞こえてしまっている人の心をも傷つけることがあります。
当人は言ってスッキリするかもしれませんが。
まず、その問題、あなたには関係のないこと。
嫌な何かを耳にして
なりたくない自分に陥っていかないことです。
聞きたくないのは皆同じ
だけど、
言わせないようにすることはできない
そうしないようにさせることはできない
全ての問題が起こらないように回避することもできない
例え回避できたとしてもそれは一時的なもの。
コントロールできることと
コントロールできないことの違いを知ることは、
自分が今、何を思っていて、何を選択するのがベストなのかを気づかせてくれます。
本当の自分の課題は
そんな中で
どう判断し、何を選び取り、どんな行動をするか?が大切なのであって
『それで?自分はどうするのか?』です。
つまり、
『どんな自分でありたいのか』
をしっかりと明確にわかっていないと、問題1個1個を倒していかなければ自分でいられなくなってしまいます。
他人の問題を潰していく自分も、
そうしないといられなくなる自分も、
おそらくどっちも本当の自分ではないはず。
『自分がどのようにして陥っていくのか』は、自分では見えないことの方が断然多くて、
気がつくのはいつも、絶望的な状態になってから。
それからでも遅くはないけど、
せっかくの人生、何が嫌なのかわかっているのなら、
それを乗り越えていくプロセスの中で背長や達成を積み重ねたいですね。
これだけは言っときます。
「ネガティブの沼って決して深くはない!」
また、
あなたが相手のネガティブを引き出しているかもしれないということも。
忘れずに。
出来事に絡まる感情から、お互いの課題を分離してみた
今年は鈴なり!
ワクワクしていたジューンベリーの実り
収穫を待ち望んだ夕方、私は仕事で帰宅が遅れ薄暗い中
「あれ?ジューンベリー獲らんの??」
娘に任せた私がバカだった。笑
遊び優先で「めんどくさ〜い」と放置した、その翌朝。
見事に粒ひとつなくなりましたー。。
たぶん1000ベリーはあっただろう…
10羽ほどのヒヨドリ軍団は、わずか1日で1粒残らず食べたのでした。
後の祭りとは、まさにこのこと。
収穫をするのは私たち
隙があれば食べたいのがヒヨドリたち
食べたいのはどちらも同じ
娘のネガティブな言葉を聞きたくないなら、私が先に獲ってしまえばいいだけの話。
だけど、それでは娘と前日話した時の
「わかった(夕方学校から帰ったら獲る)」
を無視したことになる
私は薄々結果を予想しつつも、娘を尊重し収穫を任せたのです。
誰も間違ってない判断に、私はOK −OKで着地しました。
また来年まで待とうっと。
どんなことからも、気づきはありますね〜。
今年も、また行かねば♪
暑すぎて、しんどすぎて、初夏を苦手になりかけた昨年のブルーベリー狩り