自分で感情の処理ができると人間関係は良くなるしかない
先日、こんな大人の日常話がありました。
不機嫌になる大人の中身
買い物お出かけ編。
ABCの3人で買い物へ
A:「あっちのお店へ行きたいな」
C:「こっちの店を見たい」
B:「Cと同じ店を見たい」
ほとんどの大人はここで解決。
2対1で別行動をすればよい。
つまりAが一人で行けば解決です。
ところが、こう続くのだそう。
B: Aに「1人で行ってくればいいじゃないか」
A:「自分は1人では行動できないし決めれない。だからBについてきて欲しいんだ」とBを待つ
A:イライラしながら「どうするの?早く決めてくれないと困る。時間を有効に使いたいんだけど」さらにプレッシャーを与えながらBを待つ
B:気が散ってお店の商品など見ていられない
C: Aの不機嫌を感じ取りゆっくり見ていられない
A:自分のために“素直に”ついてこないBに苛立ち文句を言う
自分のためにBを突き離さなかったCにも苛立ちに文句を言う
Aは2人ともなぜ自分の思い通りにしてくれないのかが全くわからない。
こんなに不機嫌にアピールしているというのに。だ。
これは誰の問題なのかは一目瞭然ですよね。
側から見れば明らかに幼稚な Aですが、本人は自分は間違ってないと考えていて、
終始正当化した怒りを表していたそう。
最終的に、受動的なAの言い分はこうでした。
「自分だけ我慢をさせられた」
「自分だけ嫌な気分にさせられた」
“られた”と。
皆さんは、どんなことを思いますか?
こんな経験はありますか?
自由にできなかった仕返し
1人で行動できない
1人で決められない
人たちの特徴です。
自由になりたいのに『自由にして良い』と言われると
軽く扱われた、見捨てられた、と受け取ってしまう。
子供の頃から、親に逆らう度胸がなく従順な態度で順応してるのは自分自身なのですが、そんな自分自身が嫌なので陰で親への不満を言ったり、相手のせいにして自分を正当化して生きてきました。
先のは、とても極端な例ですが、
こんなにも親に自分を“表せない”なんて
この人の親御さんはどんなに厳しく育てたのだろう??
と思うでしょう。
むしろ逆なこともあるんです。
甘やかされてきたため大人になっても自分のことを自分で決めることができず、
決めてくれないことで「してくれない」と卑屈になって
“自分は親から愛されていない”だとか
“罪悪感を与えられとても言わせてもらえなかった”などと
早々に相手が悪いと答えを急ぐのです。
そうでなければいけない理由がありますが、
側から見れば、表せないのではなく“表さない”だけなのです。
ここで、どうしてそれが甘やかしなの?と思うでしょうか。
自分でこれがいいと決めると親に「こっちにしときなさい」となる。
なんでもいいと言うと「なんで決めれないの」となる。
決めても決めなくてもどのみち反対“される”。
つまり自分の意見は通らず親が決めてしまうので、そのうち決めてもらった方がましとなるわけです。
しかも親に勝手に決められたことに腹を立て
後から「本当は嫌だった」と言えますから、
結果が悪くなったら相手のせいにすれば良いんだとなり、
何度も繰り返すうちに本人はこの方が楽だと歪んでしまったのです。
『ぜんぶ相手のせいにして生きている』(頭の中でも)とは、こういうことです。
大人になってもこのような状態でいると
(注意してくれる友達はいたけど自分から切っていき大人になった)
自分勝手な世話焼き人間や、おせっかい友人を好んで付き合い、そんな世話人で自分に保険をかけるようになります。
『自分からやらないのではない相手が勝手にしてくるんだから』と、言うことができます。
私も若い頃は特に言わば『強迫的世話人』側でした。笑
目の前に困った人がいると見ていられない、ジッとしていられないのです。
なんとか役に立とうとあれやこれや頑張ります。
頑張る自分を認めてほしいからですが、これはこれで歪んだ認知。
利用されますからね。笑
どっちもどっち。
他者の評価が自分の価値として生きていると、
悪い評価や評価されないことを避けるようになります。
そうすると、主体性がなく自発的に動けなくなりますから、
あっちもダメこっちもダメとリスクを回避し、より完璧を求めるようになります。
優柔不断や、人任せや依存、あるいは子供のように突然自分勝手な行動をとるのですが、度胸がないのでストレートには言えません。
- 機嫌が悪くなる
- ふてくされる
- 黙る
など。受動攻撃行動というのを通して自己表現するのがお気に入りになります。
子供ならOK。
大人なら素直なスマートさで
この際
「ねぇ一緒に行こうよ〜!」
「ねぇこっち来てよ〜!」
こんな風に親にもう一度甘えてみて、自分の気分がどうなるかを確かめてみるのも良いかもしれませんね。
子供返り(退行)はどこかでやっておかないと大人の階段を登れません。
それが25歳でも30歳でも40歳でも仕方ないのです。
カッコ悪いですが、自分が後回しにしてきたのですからね。
先の例は、本人はいかにも大人びた理屈をこねては子供をやっていたんですね。
変に理屈をこねず、いっそだだっこする方が素直だったでしょうね。笑
どちらも『された側』
どちらのタイプも
本当の自分を表せない(表さない)という部分では同じだということです。
自分で自分の機嫌が取れない大人は、
気がつくともう誰も自分の悪いところを指摘してくれません。
自分で自分の機嫌が取れない大人の機嫌を、
代わりにとってあげる必要もありません。
いやなら距離を取る。
強迫的な世話人として寄り添うしかない訳ではないのですから。
自分のことは自分で決める。
自分のことは自分で選ぶ。
大人ならこれくらいはできたいですね。
感情の処理ができるようになってくるとどうなる?
娘は11歳あたりから急に、自分の機嫌を上手に取ることができるようになってきました。
具体的なことは書きませんが
自分なりに「まぁいいか」と着地ができる娘を
ちょっとずつ、一歩ずつ、ゆっくり後押ししています。
自分からノリノリに誘ったくせに、入口わずか2mで
娘:「ムリムリやっぱりリタイヤする…ムリやって、戻る…」
母:「ハァ⁉︎なにいってんの⁉︎行くざ!」
ぐいぐい進む母ちゃん(しかも結構叫んでたらしい笑)に、最後までついてきました。
束の間の京都旅
東京旅に引き続き10年間溜め込んだマイルで♡
本格的な美味しさの吉野葛
街は外国人で溢れ、活気が戻ったアフターコロナです。
行く先々で「何人ですか?…あ、How many peaple?」
「あ、すいません!…あ、sorry」
なんで言い直すのよ。
英語のパンフレット
わたし、いったいナニジンに見えてるんやろ。。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な週末をお過ごしください♡