人に必要ない感情などひとつもない
オーガニックな食や製品を扱っていると、その企業理念やポリシー、地道な開発と努力とバイタリティーには、本当に感銘を受けることがあります。
近年はSDGsと共に、サステイナブルでエシカルな考え方がどの分野にも定着しつつありますね。
10年前は
「世の中ぜーんぶオーガニックになればいいのに」や、
「添加物なんてこの世から消えてなくなるべき」とか、
「海外に比べ日本は〇〇」などといった排他的な言動が飛び交うこともあった店内。
今現在は、そのような半ば攻撃的な思考を持つお客様のご利用がなくなりつつあります。
そんな中、心理学や精神分析を学び続けていると、思うことがあります。
悪いものを敵視し排除することにどれほどの意味があるのか?
敵視した捉え方をしている側に問題はないか?
全ての人が同意できること…それは誰のため?
ずいぶんと前に、科学者とスピリチュアルは“説”に対抗しながらもそれぞれに突き詰めていくと最終的には同じ山の頂上で出逢うという話を書きました。
どんなに勤勉な人でも突き詰めることは人生80年やそこらでは足らないというし、
確かにそんな風に思うことが増えてきました。
学問って、学問とすると本当にキリがない、、
で、先日あることを調べていて、懐かしくも「フリーメイソン」に辿り着きました。
フリーメイソンとは実在する団体(友愛結社)で、
「自由・平等・友愛・寛容・人道」5つの基本理念を持っています。
現在のライオンズクラブ、ロータリークラブ、ボーイスカウトもこの団体の流れ。
『全ての人類が同意することのできる宗教』と夢のようなことを掲げていますが、実際に会員数は世界に600万人、日本人は250人とされています。
カーネルおじさんや宇宙飛行士もいて、高須クリニック医院長の入会は有名です。
どんな宗教者でも入会は自由ですが、心理学者は見当たらず、、
実は、ホメオパシーに影響を受けたフラワーレメディのバッチ博士も31歳で胃がんを患い翌年1918年にフリーメイソンに入会しています。
バッチ自身は、病気の根源が自分の心のあり方にもあることをさておき、人の心に渦巻く病への恐怖を排除することが目的だったことで名を残す医師でもありました。
病気の敵視、さらには恐怖への敵視へと。
興味深いのは、当時素晴らしい経口ワクチンを開発したバッチ医師ですが、病後は生き急ぐようにレメディを開発し、病気の治療を単純なものにするために“自分を迷わす”ことがないようそれまでの全てを燃やしてしまったこと。
ここでも「相手自身のため」なのか、それとも「自分自身を満たすため」なのか。
ですが、
100年が経過し、選ばれたレメディ活動家によって人々の経口ワクチンへの抵抗をなくすことにも一役買い、今後経口タイプに移行すれば実質反ワクの人々自らがワクチンを拡げていくことに繋がりそうです。
苦悩は自分のためにはならないのか
さて、分析ばかりで実用性に乏しいとされてきた心や精神哲学を扱う学問ですが、
ちなみに私が心理学や精神医学で好きなところは、分析以上に人間のあらゆる情動をヨシとしている考えの部分、まさにそこです。
そんな意味では仏教の禅の哲学が今も変わらずとても好きで、禅を心理学で再度繋げているような感覚で生きています。
仏教では「生老病死」は避けられない“苦しみ”としています。
そう、生も本質は苦しみなんです。
病への恐怖を排除するなどという発想にも至りません。
そして、「貪・瞋・痴」や「四諦八正道」など。
真理に反くとまではいかずとも、生きることを苦しみだと思っていない時点で、宗教観の違いを大きく感じます。
小乗仏教には非常にわかりやすくまとまっています。興味のある方は一度仏教を学んでみてください。
私個人の場合ですが、仏教から離れるほどに自分を勘違いします。
ちっぽけなお前はいったい何様だ⁉︎となるわけです。
例えばオーガニックや自然医学や分子栄養学なども含め、科学的な根拠を追求したり真実を覗こうとすると「こうだからこうなのだ」にとらわれやすい。
そこで偉そうに自論を見つけては、後にそれは既にあるとわかるのです。笑
だけど、人の心は未だわかっていないことがほとんどです。
なのに、私たちはそれなりに上手に人生を生きていかねばならないわけです。
そこに矛盾や傲りが付け入る余地が生まれてきますから、初心を忘れそうになるのは、自然といえば自然なんですがね、、
占星術では様々なことを月のせいにしたりしています。
星や月に限らずとも、そうかもしれないしそうでないかもしれないのにです。
悪いこと、努力がいること、必死に困難に立ち向かわなければならないことは人生にとって煩わしいことで、
喜びや楽しいことやトントン拍子に上手くいくことは良いことだ。としてしまえば、
私たちの心に潜むネガティブな感情は全て悪いものになってしまいます。
何かに挑戦したり逆境に立ち向かう勇気に含まれる、不安や恐怖や緊張はネガティブなことでしょうか?
悪行はもってのほかですが、
悪い心は自己意識でその決断を選べます。
「悪いこと(正確には自分が悪いと思っていること)」それがどれだけ自分の成長の糧になり得るかは計り知れないというのにです。
いーや、これまじで。
苦痛に感謝すれば思いやりや優しさ、共感する力を自分に与えてくれます。
苦痛を悪者にすれば妬みや憎しみ、恨む力を自分に与えます。
病は私たちに健康の有り難みを教えてくれます。
病と向き合う心の恐怖もまた、自分が全能ではないという命への謙虚さを教えてくれます。
ゆえに悪行は自分を腐らせ、
一日一日の行いで人格が決まると言っても言い過ぎではないでしょう。
苦痛と共に生きることを決めた方が、不思議と苦痛の方から去っていくこともあるんですよね。
人生には楽しいこともあるけど苦しいこともある。
それを耳で聞いて心で受け入れないで、
『苦痛はあってはならないもので排除すべきものだ』
など、全くおかしな話だなぁと思ってしまうわけです。
私自身がホメオパシーやレメディを扱わないのは、フリーメイソンが…とかそんなことでは全くなく、
『苦痛はあってはならないもので排除すべきものだ』という考え方そのものに、今は全く同意できないからです。
自分の心を否定するということは自分の存在を否定しているということ。
苦痛を邪魔者扱いせず、仲良くするかどうか選べる自分の方を鍛えることもできます。
人のそれを、まだ信じたいです。
ところで人は他人の弱さを見た時、
・同情する人
・バカにする人
・引く人
・しめしめと思う人
・ざまぁ見ろと思う人
・なにも思わない(ようにしている)人
色々いると思いますが、
私は人間らしいなぁと安心したり親近感が湧きます。
誰もが辛く苦しいことは避けたくなるものなんだろうけど、
実際に、自身の歪んだ自己愛や病的な全能感に悩んだ歴史上の哲学者や精神科医のフロイトですらも、しっかりと自己愛を自覚し苦しんでいたと多くの書物に残されています。
キューブラロス、コフート、カーンバーグ…精神科医としての偉大な哲学者たちも同じように人間。
だからこそ、『全ての人類が…』という表現が理想だったのでしょうし、そこに賛同できない人々が存在するのでしょう。
とっくに価値観を超えています。
同じ時代に自分と向き合っていた人物たち。
◉徹底的に排除する
◉徹底的に内観する
後世に残してくれたそれが、波動となって響いてくるのならば、それと同じ波動の持ち主なのかもしれませんね。
あなたは自分を満たすための波動を求めていますか。
それとも相手自身を満たそうとできるフェーズですか。
満足で楽しく平穏な日々だけがあることを幸せというのではない。
私たちは本来、自分が思うよりももっと逞しいはず☆
こんなことを考える暇のある私は幸せ者ですね、、!
長文最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最近、寝起きの白湯に混ぜるカモミールハイドロソル。
本物の香りはクリア☆ですね
ハーブティーとはまた全然違う〜
肌の乾燥が進みがちな11月、アトピー肌や湿疹、年明けの花粉症対策としてもおすすめです。
人体模型?の謎かけお祝いが届きました。
“吸収“とかけまして〜。
…なるほど9周年!!
いつもありがとうございます♡