自分に共感できない人たち
自分を見失うってよくあること?
ずっと前の続き。
自分を上手に扱えない人が他者を上手に扱えるかどうか。の話。
衝動の度に自分を見失う人が、他者を簡単に見損ねてしまうことはないのか?という話でもあります。
セッションをするSachiyoさん自身が、しょっちゅう不安定だったら…。
セッションが支離滅裂ですわ。笑
いや、笑い事ではない。
ちょっと考えたら、何を優先するべきかがわかります。
常に「自分の行いはどうか」です。
言い分や意見や考えや解釈がどうかではなく、「実際の自分の行いはどうか」です。
それはつまり、『相手自身のため』のセッションのはずが『自分自身を満たすため』になってはいないか?を常に自問自答しています。
ところで、
何年何十年も経って大人になってもその人の中にしっかりと残るのはなぜだろう?
少なからずそのようなものの見方で苦しんでいるにも関わらず、どうしてそれをやめることができないのだろう?
答えはないだろうけど、
結果的に当人の中で何が起こっているのかといえば、
「自分でも自分の感情や思考がわからなくなっている」
ことがひとつの原因ではないでしょうか。
良くある声には、
「嫌な自分をやめたくてもやめれない」
「突き詰めて考えると何をやめたかったのかわからなくなる」
「どこからどこまでが苦しいのかわからなくなる」
など。
自分で自分のことわからんて⁉︎どうゆうこと??
いえ、よくあることなんです。みんな深く考え抜いたことがないだけ。
やってみたい人は、一度自分のことをノートに書き出しながら考えてみてください。
たいがい同じような内容をぐるぐるしてきます。
しかもその範囲ときたらかなり狭い。
そして
「途中で自分が嫌になる」
⬆︎こうならない思考を開拓していくのがSachiyoさんのセッション。
思考が狭いということは、価値観が狭い。
価値観が狭いということは、思い込みや妄想がある。
思い込みや妄想があるということは物事を一人合点や決めつけて捉える傾向が出ている。
一人合点は更なる一人相撲を引き起こしミスコミュニケーションを生み出している。
コミュニケーションの結末が思ったのと違う。
それを合理化したり歪曲させて自分は悪くないへ逃げる。
このような思考で、5年10年過ごしているとどんな自分になるでしょうか?
思考を展開させていくには、自分の中でぐるぐるしててもダメなことは想像がつくと思います。
こんなカチコチの思考では、他者の本当の部分や真実を見つめることはできないかもしれません。
それは、共感力の欠如とも言うのでしょう。
自分が感じたことを思考で答える
例えば、「子供を自由に伸び伸び育てたい」
どんな親もそう思うでしょう。
伸び伸びさせたいならば、
基本は子供が『自分が感じたことを自分で考え自分の行動を取ればよい』わけです。
言い換えると『子供が感じ子供が考え子供が行動する』のが良いでしょう。
だけど、ほとんどの親は、こんな風ではないですか?
もしくはこんな風ではなかったですか?
『親が感じ親が考え子供に行動させる』
『親が感じたように子供に考えさせ子供に行動させる』
『親が感じ親が考え親が代わりに行動してしまう』
子供が自分で好きなようにやったら「そうじゃない」と親に怒られる(直される)
やらないとやらないで怒られる
考えること自体が嫌になるのも無理はありません、、
親にいつも手出し口出しされてくると、子供はそのうち自分で感じたことは間違っているかもしれないこと(親と違うかもしれない)になり、親が気分良く感じてくれないかもしれないので何もしなくなります。
自分のことなのに、一体誰のためにやれば良いのかわからないからです。
その思考様式で大人になり、自分のためにとか、相手のためにと言われたところで考えても考えても自分と相手の境界線が不明確で混乱します。
「お節介」
「悪気はない」
「私なりに…」
という言葉で逃げるのが精一杯。
正直な感情を都度否定されてきたり、自分で否定しなくてはならなかった環境では、
共感力が育たないのも仕方のないことでしょう。
だけど「周りの人のことを考えて」「人に迷惑をかけてはいけない」などを教えられると、余計に困ってしまい
「人も自分と同じように感じるはずだ」「自分と同じように感じないことはおかしい」となってしまう。
もはや『感じるってなに?…』
拗れた大人よりも、素直な子供の方が簡単に述べることができます。
自分自身を忘れていないか
「ずっと自分を親の期待に合わせてきたから、もう合わせたくない!」
大人になって、自分の好きにして良いのにどうしていいのかわからない。
つまり、どうするのが“ベスト”なのか決められない。ことがよくあります。
あれもしたいしこれもほしい、だけど損したくない、後悔したくない、失敗したくない…。
気がついたらリスクを取れないために何も掴めない葛藤だけが残ります。
葛藤があるから葛藤する、みたいな。
先の大人と、後の子供は同一人物かもしれません。
セッションでは、身体の健康も心のあり方も色々お題にしていますが、
素直に感じることって訓練していかないと、
ほっといたら自然と素直になれるものではないし、ましてや素直になりたいと思っていたって、思ってなれるものではないのだと思います。
もうすでに素直じゃなくなってる自覚のある人は、特に努力が必要かもしれません。
これまで自分らしくしてこなかった人が、
ある日突然まるで正反対のような生き方をすることがあります。
自暴自棄になっては元も子もありませんが、
カードを表から裏へひっくり返しても、カード自体は変わりません。
自分に起こる感情も思考も含め、自分の外側に原因があると思い込んでいる限り、周りをコントロールしていないと不安になります。
人はそういうもんですよね。
たとえ相手が自分をイライラさせようとも、イライラするのは自分の課題であり、イライラさせるのは相手の課題です。
このように、
葛藤や混乱が起こりやすい人は、ミスコミュニケーションを自ら生み出していることに気づくことが最初の一歩です。
セッションにて自分の情動のメカニズムを知っておくことは、仕事や人間関係においてとても自分自身に役立つものになっています。
本来、人の情動というのは、どんなものでも健康的。
自分に嘘をついたり、カッコつけようとするから前に進まない。
一度、自分で『自分はどんな人間か』をノートに書き出してみるといいですよ。
そのノートを材料にセッション・コーチングすることも十分できますから☆
カフェイン完全にやめて2週間が経ちました。
冬になっていくし、またいろんなハーブティを楽しみたいと思います♡
今日は、エルダーベリーティ。