2022年11月の営業カレンダー
早いものでもうすぐ11月ですね〜。
さて、11月の営業カレンダーはこのようになっています。
◉『自然栽培リンゴ』『JAS認証リンゴとみかん』今季もご予約販売が始まりました!
おかげさまで、このところ木曜・土曜のセッションのご予約が取りにくくなっております。
メンバーの方は、公式LINEより日時のリクエストメッセージいただければ時間外(時間外料金1,000yen)でも対応できることもありますので、ご一報ください。
ビジターの方は、予約サイトカレンダーに準じてお取りしております。
よろしくお願いいたします。
フェーズに合わせたmy organicのセッション
最初は半信半疑で始めた『毛髪ミネラル検査』や『検査リチェック』を経て、
次のフェーズへ上がる人たちがいます。
自分を上手に扱う心のセッションへ。
心のセッションといっても、鬱状態やパーソナリティ障害、コミュニケーション障害などに限ったことではありません。
それもありますが、あまり大袈裟に捉えず心静かに。
例えば、かねてからの自分の身体の不調や傾向とパターンが繰り返し繰り返しおこってくる。
人間関係のストレスからの影響が多くを占めており、
自分がそれらに振り回されて日々精神的な苦痛を伴っていたり、
新たなミスコミュニケーションの引き金となることでそれ自体がストレスに発展している現状へのコーチングセッションでもあります。
皆さん別々の問題。
一人として同じではない心の構造なので、当店のオリジナルセッションにマニュアルは存在していません。
裏付けを欠いたプライドを横に置いておくことができる能力。
持っている人はちゃんと見つけて育てて磨きあげ、裏付けのある自信を積み立てて自分の足で立ち、自己の癒しを一歩一歩確実に進めておられます。
たまにウサギが現れなにやら仕掛けてますが、Sachiyoさんはあいにく、のろまなカメです。笑
本格的なコーチングの段階へくると皆さん楽しく活き活きしてくるのがわかります。
“魔法”を使わず大きなものを自分の力で乗り越えてきました。
自我の再構築、再建設、リフォームだって自由にできる☆
だけど、引っ越しはできないの〜。
自分の肉体は死ぬまでいっしょ。
心を乗せた肉体に感謝して、自分の心に恥ずかしくない行動を。
これからもずっと。
見えるものを見る度胸
動物や植物は何を見ているんだろうか。
動物も植物も、見えるものをありのままに見ているんだろうね。
人間側が、ただただ可愛がりたいだけの動物や、自分が癒されたいための動物として、とにかく部屋を彩るモノとしての観葉植物や花。
思うようにならないと飽きたり愛着を別に向けたり時には捨ててしまったりする。
そんな風に思考を分離し人間としての発達を経て、私も今、ここにいます。
人間関係やコミュニケーションを難しく感じる人が多いのは、人にはそれぞれ別の心があり、物のように扱えないからだといいます。
リモコンやスイッチのように意思通りには動いてくれないということですが、
伝えたいことが伝わらない
伝えたいことを素直に伝えられない
わかって欲しいことをわからせたい
私のことをそんな風に思わないでこんな風に思っておいてほしい
私から絶対に離れないでほしい
これらは誰もが幼少期から感じたことのある対象への情動ですね。
たくさん後悔し反省し青年期から大人になっていきます。
それを心理的に分析しながらやってきたら、なんだかんだ我が家のニャンコはいい子で優秀です。
何の話かわかりませんが、続けますよ。笑
ペットを管理する人間の立場は確かに動物よりも上です。
立場が上になるほど『人を扱うには』などと傲慢な表現をすることがありますが、人間をもののように表現するのは本質的にはおかしな話かもしれません。
私たちは所有欲や支配欲において、うっかり勘違いしてしまう生き物だからです。
※犬好きか猫好きかの違いはここでは触れないでおきます。
そこで疑問です。
仮に、自分を上手に扱えない人が、他人や命あるものを上手に扱うことが可能でしょうか?
自分の癒しを終わらせていない人物が他者を癒やそうとしている現状があるとしたら?
見えるものを見ず、
自分が見たいものを見るために、自己成長しない選択を正当化した人たちがいます。
見えるものを見る度胸を幼少期に捨ててきた
傷つくのを恐れて、傷ついたのを隠して、そんな自分を恥じて、気がついたら見えるものの後ろ側を見るようになりました。
『心理を読む真似ごと』をした未熟な魔術的思考で魔法に引き込まれてゆきます。
そこである日、真に度胸のない自分を悔やみました。
とりあえず親のせいにすることにしました。
意気地のない自分を正当化するために、以後の人生を「だったらいいのにな」に捧げました。
魔法は何かを“教えて”くれ何やら心細く安心します。
「きっとこうに違いない」「ほらやっぱりね」と、そこにあると何か懐かしい感覚。
それはあの時もあの時もわかってもらえなかった、惨めで最悪な馴染みのあるそんな感覚。
もう素直さは捨てて知的さを拠り所にすることに決めたというのに。
さて、思い通りにできるでしょうか?
ところで子供は率直に、悪い・良くない・カッコ悪い、などと自分が勝手にそう思うことを隠そうとしますが、もしそのまま大人になったら知的さの証明の中で何を隠すのでしょう?
子供の心のままだから何かを隠す必要を感じるのですが、
ある対極の思い込みが病理的に現れてくると共感力が顕著に欠如してきます。
劣等感と優越感の間で
嫉妬と復讐心に襲われ
無能感と不必要感を感じたりする。
大人になっても「隠し続ける」ということは「人間関係は食うか食われるかの関係だ」と損得で捉えていて、
「隠していることを隠せ」と二重で捉え一人相撲でどんどんこじらせていきます。
この辺りで既に自分を見失い簡単に他者も見損ねていくのです。
結果は、いつまでたっても『私は生きづらい』
見えるものを見る度胸を捨ててきたがために。
昔から人の心というものは、自分でもそう単純にはいかないようですが、
もし、コーチングセッションをしているSachiyoさんが本当はこんなにも不安定だったとしたら、どうですか?
この続きは次回
お店のグリーンたちは心地よかったようで、
伸びて伸ばして増えて増やして子供がどんどん増えています!
なんなら子供の方が大きいくらいに成長。
我が娘も、そろそろ母ちゃんの身長を超えてきそうです。
人生に二度と訪れない今日という日を、大事に大切に。