才能は埋もれていくのか無くなってしまうのか
音楽を聴きながら勉強するのってアリかナシか⁉︎
集中力は無さすぎてもありすぎてもいけないといいますが、
娘はイヤホンつけながら算数するんです。
これって聞こえてくるものを聞かずに集中するというひとつの能力らしいです。
ひえ〜!私は断然無音で集中タイプ。
ある日、4年生の問題を見返している時「うわぁ〜そろばん嫌やったな〜」という娘に、
試しに「母ちゃんは5年生の秋、暗算1級やったんやで」と、自慢してみました。
(今、娘5年性の秋)
私は3年生から始めたそろばんは準2級止まりだったにも関わらず、なぜか3桁10段の見取り暗算がめちゃくちゃ得意で、
ストップウォッチを使い3分以内にやるのも好きで、計算に夢中になっていた2年半が、唯一の習い事の思い出です。
できないから悔しくてたまらなく、できてからは好きになり、もっともっとと1級を取り、それ以上は自分なりの理由でスパッとやめたのを覚えています。
それが5年生の秋でした。
そうして、自分の能力がぐんぐん伸びて理数系バッチリ!有頂天だった私も7年後、
高校2年の時にすっかり暗算1級ができなくなっているのを目の当たりにし、ショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています。
11歳の子供は大人になっても(ざっくり30歳くらいまで)この頭脳回転のままいられると疑いもなく思ってそろばんをやめたので、できなくなっていた子供は「ウソ!こんなに早く忘れてまうの⁉︎アタシの脳みそ…」
自慢の才能がひとつなくなってしまったのですから。
それ以降、自分が学んで忘れたくないと思ったことはせめて数年おきに再確認する癖がつきました。
日記も本読みも、その影響かもしれないな、、
脳みそのストレッチ、ほんとにできてるんかな。
ひとつのある才能をどう使うか
若いある日は、成功とは何かを考える。
結婚出産後は、幸せとは何かを考える。
子育てが少し落ち着くと、人生って何かを考える。
自分の頭に出てくることって、自分本位なことばかり、
自分が好きなことばかり考えていても自分をさらに磨き上げることはできません。
・車を運転している時にいろいろ思いつく
・夜中ふと目が冷めた時に思いつく
・朝のまどろみ時の考え事の明晰さといったらない
皆さんも、そんなことないですか?
赤信号時に走り書きで書いたへろへろの“暗号文字”を読み返し、推測しながらブログを書くことも多い私です。笑
さて、先日店内のブラックボードを少し変えてみました。
さすが常連様はいち早く気がついてくださいました☆
それは、マインドメンバーだからこそ物の見方が鍛えられていて尚且つ自分のものにできている証拠でもあり嬉しく思いました。
my organicはカスタマーとクライアントのご利用があります。
それは、
自分のために健康を意識していたいのか?
それとも健全であるために自分を整えるのか?
の違いでもあります。
食も身体も心も、どれを扱うにも
・自分の感情に振り回される
・思考が混乱する
・行動がまとまらない
そんな“散らかり”を分析しながらセッションを行なっています。
言い換えれば、考えるばかりでは行動できない。
なぜなら、できないことややらないことを自分に都合よく合理化するから、
そして、自分に都合よく知性化するから。
感じるばかりでも、行動するばかりでも、同様だと思います。
人はそもそも自分のことばかり考えていて、自分が上手にありたい生き物です。
たとえ自分が犠牲になってでも他者のために…と言っていたとしても、
その犠牲になっている自分の在り方が好きなのだからやはり自分の理想とするお気に入り自分像の再生でしかありません。
才能や能力を引き出せたら、それをどう使う?
とにかく素早く考えて行動してしまいたいと「こなすこと」に使うのか
時間はかかったとしても感じたことを別のやり方を見つけ出す工夫や適応など「視点の違い」に使うのか
自分を理解することや、他者を理解することの大切さ。
それは、物事を歪めて捉えないよう気を付ける前に、歪めている実際の自分と向き合うことでもあります。
あの、なくなってしまった暗算才能は今もないままですが、笑
機械のように同じことを繰り返し繰り返し考える方へ向けるのをやめたことで、深く考え抜くという別の方向へ役立っているようにも感じています。
正確には“なくなったという解釈をしていない”ので、
まぁ、これでいいのでしょう。
というわけで、
・才能は埋もれたりも無くなったりもせん
・才能は別のところでちゃんと使われてるでのぅ
・言い訳に才能が使われていることは悲しい事実やざ
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今週末のmy organicは
10(祝)15:00〜17:00の営業です!