自分と他人の“あたりまえ”がぶつかるのはあたりまえのこと、という話
気づくことは辛く楽しいこと
オーガニックで料理を作るようになって27年ほどが経ちました。
「料理が決して上手ではないです」
「毎回違う味になります」
私の場合、料理が上手くできない理由というと、
毎回同じようにしても違う味になるというよりは、
毎回何かを変えたくなる好奇心を抑えられないからなのかもしれません。
(それで新しい発見が得られることも大いにあるので☆)
だけど、美味しいと言ってもらえないか、あからさまに残りますよね、、
そんな時は、落ち込みます。
“上手じゃない”という事実を受け入れるのに心が悲しく辛くなります。
若い頃の話ですが。
さすがに
「これ、なんの料理?」とあからさまに箸で遊ばれたり
「これ、美味しくない」と旦那さんに言われた時は、腹が立ちました。
じゃあ自分で作ってみればいいやんけ!と。
そこには、あなたたちの健康を考えて1から手作りしている“のに”
こっちは仕事と子育てもしている“のに”あなたときたら…
という気持ちがあるからです。
そんな時は自分で作らせましょう。
その代わり、キッチン周りの使い方にごちゃごちゃ口出しをしてはいけません。
にしても決まりはないにしろ、料理は女性が担当することが多いですよね〜。
子育てしながら仕事して、仕事帰りに重たい買い物して、脚がだるいが座る暇もなく料理して、やっと座れて食べるの15分。
よ〜〜〜くわかります、わりに合わないと思うことが多いでしょう。
味に関しての『上手の定義』それは
自分の口にあえばそれは上手と見なす、それは100人100様である!
母親の、また馴染みの味に近ければ美味しいのです。
そして
上手な手抜きを楽しく発見していかないと、一生はやってられませんわ。
上手くいかない時に意地になるとは?
さて、人と人のコミュニケーションではどうでしょう?
食材のひとつひとつは、おおよそ決まった風味ですが、
人には皆違う、出来上がった“味”があります。
人には心や気分があるので以前と今とではその味が若干違うこともあります。
あれ⁉︎これやばいかも⁉︎と思った時に、
意地になって進んだ挙句、ことをよりいっそう悪くしてしまうことがよくありませんか?
私はめちゃくちゃありました、それが特に料理に顕著。
いや、人間関係でもそうでした。
会社の同僚でも、上司でも、友人でも、恋人でも、旦那さんでも、家族でも、親子でも。
それに対しての思い入れが強いと、自分の意見をなんとしても主張したくなるものです。
母親や馴染みの味に戻りたくなるように、心にもそういうのがあるんですよね。
だから自分と他人の“あたりまえ”がぶつかり上手くいかなくなるのです。
うまくいかない時に落ち込んだり、腹を立てたりと
つまり諦めるのはとても簡単です。
ところで意地ってなんでしょう?
自分がされるくらいならやってやる!と人生は戦いのごとく果敢に突き進むかのように挑むのは、よくある子供じみた意地かもしれません。
問題をちゃんと見ようとせずに事の重大さを否定したり、
自分が嫌になったにも関わらず周りや人のせいにして逃げたりするのも意地のひとつ。
何かの対象物に対して「自分が下手であること」
自分の心や行いに対して「自分が愚かであったこと」
に気づくのはとても辛いけれど、現実を受け入れる勇気があればその先に進めます。
『今後それを避けることができるかもしれない』という楽しさを与えてくれることにも気づくから。
先日クライアントからこんな言葉がでてきました。
「私は人付き合いが上手いと思っていたけどそうでもなかった」
「私はサバサバしていると思っていたけど言いたいことを言えなくていつもイライラしていた」
「私は子供の頃から勉強ができたので自分が一番正しいと思い込んでしまう」
その気づきを認めるのは辛かったことでしょう。
スパイスひとつひとつを1から調合して手作りしたのと変わらない美味しさ♡
ドイツの『Bio認証オーガニックシーズニング』でパスタを作りました。
どんなことも、あたりまえに諦めなければ楽しいことが②つあります。
①肩の力を抜いたら他のやり方に目を向けれたこと
②それを受け入れることができた新しい自分を知れたこと
大切なのは
でたらめにやることではなく、何かしらの仮説を立ててやること、でしょうか。
付け加えるなら、向上心を理由に新しいことの発見にこだわるのも意地のひとつ。
前に進まなければならない。
成長しなくてはならない。
認められなくてはならない。
そりゃ疲れますわ。
今週末のmy organicはお休みです!
皆さんも、良い週末をお過ごし下さい♡
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。