心の中の葛藤は自分の課題
心の中に葛藤がある
人といると楽しいですよね。
人と会うといろんな会話を楽しめて、時に意外な意見同士がぶつかり、新しい視点が刺激になります。
人といると疲れる時もありますよね。
言いたいことが言えなかったり、わかってもらえなかったり、誤解を招く時もそりゃあります。
通ってきたことのある道を二度通ったり、
二度と通りたくないと思った「効率の悪い道」をもう一度、誰かと一緒に通るのは嫌ですか?
それは、意味のないことだと思いますか?
時には人に優しくしたくなり、時には人と会いたくなくなる。
自分がやりたいようにやっていくかと思えば、突然周りの秩序が気になる。
きちんとやる自分と、それを壊してしまう自分を持ち葛藤を抱える人がいます。
注目を集めることと孤独を求めることとの間で、まとまっていないからです。
ああ言ってみたり、こう言ってみたり、周りも彼・彼女らと関わるのが時々嫌になります。
だけど自分では気づかないもの。
余計な一言と、余計なお世話
そんな葛藤が自分の中にあるにも関わらず、他人の心の中の葛藤を知らないので、心ないことを言ってしまいます。
すると言われた人も、言ってしまった人も、
◉感情だけで深く考えすぎる
◉言わせてみて自分を試す
◉バカなふりをして自分を軽く見せる
◉正しい主張でやっつける
◉挑発で相手のスイッチが入るのを待つ
◉付き合いをやめる
そんなことを何度も繰り返していることも、「効率の悪い道」を二度三度、自ら選んで通るのと同じことなんだと思います。
それは意味のないことでしょうか?
意味があるとすれば、どんな意味でしょうか?
そんな風にわざわざ意地悪な自分を引き出さなくてもいいんです。
ダメな自分を再確認しなくてもいいんです。
他人は自分を満足させるために存在しているわけではないので、
どんな相手でも、相手を軽く見るなど失礼なことです。
では、葛藤がない人が正解なのでしょうか?
ダメなところを探す才能ある人間で生きるよりも、いいところを探したい!
葛藤しながらも
『今日も“それら”を他人へぶつけなかった自分』を褒めよう☆
秋の空も、晴れと雨の繰り返し。
今年の黒米もモチモチで美味しいです♡
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。