自分で考えるという本質を放棄してはいけない

先日は、パーソナリティバランスのセッションでした。

7枚もの問診テストがありますが、パパッと直感で回答していただけました。

 

このセッションで何がわかるかと言うと、性格の強み、特徴的な能力、認知スタイル、ストレス時の危険シグナルなどの“枠組み”です。

 

大まかに6つに分けたそれぞれの資質の特徴が、その人の中でどんな構造をなしているのかを見ていきます。

そして、私生活や仕事で実際にはどのくらい活用できているか?を探っていきます。

言い換えれば、6つどれもこれも自分のタイプ要素なんですが、仮にどれが突出しているかを見つけ出すことで、私生活や仕事や子育てに役立てるツールとなります。

 

このテストは、けっこう複雑なので、my organicオリジナル『手持ちのカード』をつくり、ゲーム感覚で楽しくセッションを進めていきます。

※やるかやらないか?合うか合わないか?本当はどっちなの?私はどのタイプなの?というような表面的な占い分析は行いません。

 

深く知れば知るほど決めつけられない、分けられないところに本質がある

ところで世の中には、たくさんのセッションが存在します。

栄養や身体づくりのアドバイス、美容や心のカウンセリング、やる気や成績のコーチング、魂や過去のワークまで。

 

タイプ分析や各種統計学理論のウンチクは、カウンセリングやコーチングだけでなく、スピリチュアルなマネジメントやコンサルタントの世界にも使われていて、

見方を変えてみれば、クライアントの依存性を高め、そこから離れることができないようにビジネス化されていることも少なくない現状です。

 

 

ただ、私の経験上の個人的な意見ですが、人はタイプ分けして決めつけられるものではなく、むしろ例外を見つけ出して行くことの方が最も大切だと感じています。

古来からある四体液理論や陰陽五行説、形態心理学においても、やはり同じように感じます。

 

例えば私たちは、

一念発起してやると決めたのに、なぜやめてしまうのか?

体質が改善する前に体調が改善したらなぜすぐにやめてしまうのか?

それも大事な改善目標ですが、【パーソナリティバランス】では、もう少し先の本質まで見ていきます。

 

生きていれば、人と関われば、良くも悪くも影響され誘導されてしまうもの。

そうやってふわふわと生きるのも悪くはありません。

 

もちろん、私のセッションのやり方にも問題がないとは言えないかもしれません。

相性もあると思うし、全ての人にmy organicの全てを受け入れてもらいたいなどとは思っていません。

  

人に勝ちたいのか?それとも自分に負けたくないのか

ものの見え方がいつもと同じだから変われないのでしょうか。

なぜいつも目的がすり替わってしまうのでしょうか。

 

誰かに変えてもらうのではなく、自分から変えていかないと。

聞き飽きましたね、こんなこと。笑

 

さて、ここに黒い毛玉があります。

シルバーに黒の毛玉、黒にグレーの毛玉、どっちが好きですか?

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「実は、これ、どっちも同じ毛玉なんです」なんて先が読める話ではなくて。

見え方のその先。背景が違う中で、どんな想像力を使えるかどうかって大切だと思うんです。

 

同じ人でも、周りの環境、付き合う仲間、持っているもの、使う言葉、態度などによって違って見える。

同じ物事でも、伝え方が違い、捉え方が違い、受けた傷が違い、その数だけ価値観が育ちます。

 

自分を照らしてくれる人の中で甘えている人、自らの力で輝いている人。

また、華やかな世界にいても嫉妬心から自身が持てないでいること、注目を集めていなくても華があること。(かのように振る舞えること)

 

 

セッションでは、成長のヒントになりそうなことをお話しています。

私は決して上から物言う立場ではありませんが、学んできたリソースの例外を意識しながら少しでもクライアントのヒントになることがあればと、ブレの調整をお手伝いさせてもらっています。

 

結局は自分自身でやるんだけれども、違った視点・意見・価値観を共有することで、必ず新しい何かが生まれてきています。

そうやって自分の変化に対応しながら自分のやり方を見つけ、居場所をつくって(見つけるのではない)いけたらいいのではないでしょうか。

自分の一度きりの人生に参考として取り入れ、なんでも鵜呑みにしない。

自分で考えることを放棄してしまったら、何も起こせないと思うのです。

 

自分軸とは“分からず屋”や”頑固者”じゃない。

自分流とは“好き勝手”や“規則の逸脱”でもない。

 

多種多様でけっこう面倒くさい世の中でブレないトレーニングを繰り返していくことに意味があり、やっとつくり上がるものだと思うんですね。

 

一通り挑戦し経験した40代半ばを超えた頃から、人は自然とそうなっていくことも多いような気がします。

 

変化を求め何かを始める時、よく『自分は、どうなりたいのか?』と質問されることもありますが、漠然となりたい目標を決めて、そこに到達するための目的と手段に手をつけ始めたところで、間も無く目的がすり替わっていることが本当に多いです。

物や知識を売りつけたり、依存させたりするだけの、そんな指導者・先導者でありたくはないなぁと、自分に問う日でもありました。

 

『自分は、どうありたいのか?』

自分と他人を比較して、他人にどう思われるかで悩むよりも、自分の生き方に集中したいですね☆