素直な期待
最近わけあって「吉本新喜劇」にハマっている娘、5歳3ヵ月。
といっても、まだ”お笑い番組”という概念は理解できていないので、もっぱらオープニングテーマ曲が聴きたいだけ。
しいて言うなら、茂造じいさんと新幹線(階段が杖の一撃で滑り台になるくだり)、そしていつもの着信音でのズッコケは好物っぽい。
でも、い~っつも同じものじゃつまらないのでは?と思い、気を遣った母が見せた別のシリーズは…幽霊が現れる建物にお祓いにくる霊媒師のやつ。これがまずまずの反応だったの。
お祓い儀式のため、ラジカセをもった巫女さんを連れて現れるふざけた神主。
間もなくお祓いが始まるやいなや流れ出した曲が「マンボ」。軽快なダンスでお祓いが進み決めのところ(ウ~マンボ)で内場監督にメガホンで頭をどつかれるっていうくだり。
気を取り直して2曲目は?「ハイサイおじさん」。気持ちよくノッてきたとおもたら抜群のタイミングで内場監督にどつかれるが、大爆笑しているのは思いのほか母と父のみ。(間がツボにくる夫婦です)
さて、今日は日曜営業日で母ちゃん忙しいが、なんと父ちゃんも大事なお仕事が入ってしまったのです(*-*;)!
よりによって私はworkshop。子連れなんて絶対に無理!
なので旦那さんと出勤することに。これまたよりによって現場が大野!なので、早朝に出発しなければならない。。
早起きして私に付きまとう娘に、今日一日の”行って良かった感”をイメージさせるべく。
母『いいな~!今日は地鎮祭が見れるんやでぇ~!めったに見れんのやでぇ~♪』
娘『じちんさいってなんやぁ~?』
母『新しいお家を~建てる前にいぃ、土地の神様に挨拶するんやぁ~』(正直心の中で、これじゃあうまく伝わらんなぁ。と思う)
母『ほやほや!神主さんくるんやでぇ~!』(我が家には娘作の”大幣”があるので神主はわかっている。でも”おおぬさ”ではなく”かしこみ棒”と呼ぶ)
※福井弁:ほやほや=そうだそうだ
母が期待する答え=『あ~、あのかしこみ棒の人か~!』
娘『あ~、あのマンボと沖縄の歌おどる人か~!』
想像力豊かな母と父、大爆笑!
母『ほ~やほや!でも、今日の神主さんは踊ってくれんかもしれんわぁ~。』
夫『やべぇ!あぁぁぁ~あかん、本番どぉ~しよぉ。。』
シリアスであればあるほど、ぜったい我慢できないのが旦那さん。
どうなったんやろ~笑
母の期待と子供の素直な期待。こんなお笑いの話なら楽しいですけどね(^^)
話ぜんぜん違うけど、親の期待について。
親が子供に”待つ”という姿勢をもって、本当はしてほしいことの反対のことを言うと伸びしろのある子供は伸びるそうです。
「やりなさい」よりも「できるかな~?できんよね~?」とか。
大人相手にはそう簡単にはいかないけど。
人って、この人まだ伸びしろがある人だなぁ。と、思う人には厳しいことを言ってみたり反対のこと(逆説)を言ったりもしますよね。そうやってその人に期待をかけているんですね。
でも、大人になるにつれて期待をかけられているということにだんだんと気付けなくなるんです。
ただ批判されたとか分かってもらえないだとか意地悪だとか思ってしまう。
聞いたこと、言われたことは事実。そのありのままを受け入れられずに頭の中で論争を繰り返すと、その習慣は徐々に思い込みや勘違いをさせやすい思考や脳の習慣にもへつながり、どんどん周りの目や評価が気になってしまう。
気が付けば、『他人の評価=自分の価値』ということに。
そうしていつの間にか誰にもなにも期待されなくなったら、寂しいですね。
大人になって”しまった”からといって自分の可能性や限界、またはレッテルを軽い気持ちで口にせず、自分はいつまでも伸びて変化していきたいものです☆
自分が自分に期待できなくなることほど悲しいことはないのですから。
5歳の娘に期待をかけられた神主さんが今後、地鎮祭で踊るという伸びしろあるのか?っていう話じゃありません。
素直な期待についての余談でした~!
喜ばしいことに、今日は朝からカウンセリングのご予約もあり、少しの休憩のあと間もなくworkshopスタート。
皆さんカンジダのことをとっても楽しく学べたように思います♪
レポート書こうとも思いましたが、、集中力の限界を感じ、脳の休憩がてらに”つぶやき”を先にしました。笑
ちゃんとレポートも書きますよ~(^^)
完全娘作、かしこみ棒☆
A4封筒をめちゃくちゃに切ってました。笑