その問題、頭脳明晰感不足の影響かもしれない
問題を解決する
アルコールをやめて2ヶ月半が経ちました。
…あれ?そんなに、あれですよ。
思ったより頭脳明晰感が足りないな〜といった感覚ですよ。
さすがに7年も8年も前のような体感はないのか、、さびしー
それとも3ヶ月間続いている頭脳疲労のせいか、、
もちろんデカフェに変えているけど、
確かに、コーヒーを飲む回数は増えているかもしれない。
だって、マウントハーゲンだから。
パッケージのかっこよさはもちろん、味も大好きなんです。
実は昨年、これまでの正規輸入メーカーさんが撤退し一時的に買えなくなりましたが、うまく引き継ぎが行われたようで、再度手に入るようになったのです!
デカフェとはいえ、微量ながらカフェインは含まれていますので、がぶ飲みはいけません。
ふと考える。
身体づくりにおいて、毎日摂っているもの中にその不調のヒントがあるならば、
心づくりのヒントはどうか。
おそらく毎日感じていること、毎日考えていることが行動を起こすきっかけになっていますよね。
また、無意識というのは気付かぬトリガーになっている可能性大ありですよね。
脳のために良いことをする、身体のために悪いものを抜く、心のために休養を与える。
あれがいいかな、これにしようかな…
こうして仮説を立てながら問題を検証していくのが好きで、必ず解決していくのが私というストイックな人間。
努力しているつもりはなく、とにかくやってみたいからやるだけなんですが、
人はそれを見て、バイタリティがあるとかエネルギッシュだとか言ってくれるので有難い話です。
目の前の問題1個1個を潰してきたという“多動”があったからこそ、気がついたら問題解決能力が伸びました。笑
そこで、ただ動けばいいってもんじゃないという話を。
問題解決能力を伸ばすことが目的になってないか
まずどんな成功者も、どんなに幸せそうに見える人でも
人生に問題を抱えていない人は誰一人いなくて、
人生から問題をスッキリなくそうと思ってもそれはおそらく一時的なものだし、
問題でないことすらも問題と捉えるようになっていきます。
まさに重箱の隅を突くような行いだったり、警察のような監視行為だったり、干渉しすぎた管理です。
健康の問題も、食の問題も、仕事中の問題も、人間関係の問題も、家族も子供も
いきすぎると「世の中良いものばかりで溢れかえり、悪いものは全てなくなるべきだ」のような真理の否定になってしまいます。
これがいちばん人生を辛いものに変えてしまう気がします。
出来事に良いも悪いもなく、それは受けとったその人の解釈が全てです。
”良い・悪いと思い込んでいる”だけかもしれませんしね。
どっちに解釈するかはさまざまな背景により変わるので、そこを知るとまた面白い。
詳しくはセッションや今後の講座にて。
「問題はそこか?」
をしっかり考察するのも大事ですね。
モグラ叩きのようにやっつけていくのは、時間がいくらあっても足りないし、長期的に見て同じことの繰り返しで、長い目で見ると達成感がない。
よく
普段から食べたいものを食べて食べてファスティングしている人や
我慢して我慢して時々罪悪感を抱いて食べて「またやってしまった」と嘆いている人や、
テンション上げて何かを始めて長続きしない人などの話を聞くと
そう思います。
解決のための行動はしているので、間違いではないかもしれないがキリがない、、
すこし視点を変えて、
そうしたくなるのは自分の中の何が原動力か?や
それをやらないといられなくなるのはどうしてか?など
考えてみるのもいいかもしれません。
まぁ、とにかく、問題解決能力を伸ばすこともある程度は大事。
だけど、それ以上に
問題を抱えたままで充実できること、問題だらけでも幸せを感じることができる!も、れっきとしたスキルだと思います。
私は、そこを目指していきたいなぁと思いました。
その問題を解決しないと何が困るのか?
果たして本当にそれが問題なのか?
自分の中で解決したいこと、
頭脳明晰な時に、しっかり決めましょうね!
そのブレインフォグはコロナ後遺症だけではないかもしれません。
さて、習字が好きな娘、賞をもらっても当然というような反応をしてましたが、
好きなことは上手にできて当たり前だと思うからこそなんでしょう。
わざわざ上手くできないことや得意でないことに焦点をあてて文句を言ったり、泣いたりする日もまだありますが、それも心の発達として受け止めています。
人としてできるかできないか
人としてそうあるかあらないか
人としてどんな結果を出したか
いくつものパーソナリティが重なり合って一人の人間を彩っています。
私たちはいつでも人生をデザインしなおせるものです☆
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。